【人について考える、連載コラム】 みんな違う傷を負ってるだけ

みんな違う傷を負ってるだけ【連載コラム:5月】

はじめまして、小渕花梨です。

自己紹介しようにも私は何者でもないのですが、人権や差別問題に関心があり、この話題については日頃からTwitterを中心に発信しています。フェミニストとして私が考えていることをブログなどの形でまとめてほしいとの声をいくつかいただいていたので、今回welongでの発信の機会をいただけたことをありがたく思っています。

私は男女二元論を支持しませんが、現在の社会が男女二元論を前提として女性を下位に置いているという構造に着目するために、敢えて主語を大きく男/女と使うことがあります。シスジェンダーかつヘテロセクシュアル(*)である人しか念頭にないような言い回しが多く、配慮に欠ける部分もあるかと思います。今回に限りその点はご容赦ください。

シスジェンダー(Cisgender)とは、性自認(こころの性)と身体的性(生まれた時の体・戸籍の性)が一致している人

ヘテロセクシュアルとは、「異性を好きになり、性的な欲求も持つ性的指向」


さて。

「あなたを性的に魅力的だと感じています」というまなざしは、しばしば加害的である。そして、支配欲が性欲や恋愛感情の形をとることもある。

これを、実感を伴って理解できるでしょうか。性別にかかわらず、「(とくに異性から)性的に価値があるとみなされるのは名誉なことだ」と思っている人はいるようで、「セクハラされるうちが華」「笑って流せるのが大人」というのは、古臭いようでありながら、特に女性に対して今でも強要されています。

セクハラ被害を嘆く女性に対して「あなたは可愛いから仕方ないよ」「あなただって期待させたんじゃないの」と声をかける男性の多いこと。これを二次加害と言いますが、そのこと自体を知らない人もまだまだいるのではないでしょうか。

二次加害するのは男性だけではありません。

「よくあることよ。男性のたわむれですもの、笑って流しましょう。それが賢い女ってものよ。」特に年配の女性から、女性蔑視社会を生き抜くためのアドバイスとして悪意なく発せられることが多い言葉です。男性による加害が「いたずら」で済まされているのは今にも通じていますが、女性にも拒否する権利があると周知させる動きがある今は、昔と比べて大きく進歩しているといえるでしょう。

今は男性優位社会の解体の過渡期にあり、強者として男性に背負わされる重圧も、弱者らしくあれと女性に課せられる抑圧もなくならないままに、真の平等に向かうための様々な呼びかけや取り組みが、両性を混乱させています。

これは今後もリマインドしていくことになりますが、差別は構造の問題ですから、生まれてしまった私たちに原罪のようなものがあるわけではありません。ただ、構造の維持に加担しないこと、他者の尊厳を傷つける加害行為をやめることを呼びかけていきたいと考えています。

「あなたを性的にまなざしています」というメッセージは、人生のいたるところで日常的に受け取るものです。それは現状避けようのない事実として、慣れと鈍化を繰り返しながらも、恐怖を感じ尊厳は傷ついていきます。


ナンパに見る男尊女卑

今回は、今日も誰かが軽い気持ちで実行したであろう、「ナンパ」と呼ばれる街中での声かけを題材とします。ナンパがいかに加害的で、その多くが男性から女性に対して行われることを踏まえて女性差別の問題でもあること、そして人を道具ではなく人格として扱うとはどういうことか、考えるきっかけになれば幸いです。

これは個人的な経験ですが、街中での声かけ行為といっても程度の差があります。私が経験した中で一番怖かったものは、通学途中に「お金をあげるからお茶しよう」と声をかけられ、断ってもしつこかったため走って逃げたのに、走って追いかけてこられたというものです。その時は出発する直前のバスに飛び乗り、バスの扉がすぐに閉まったことで事なきを得ました。それ以外にも相手が自転車だったことなど、明らかにこちらが不利な状況におかれていて身の危険を感じることがありました。

ナンパした経験のある男性がもしこれを読んでくださっているのなら、自分のナンパはここまで酷くないと思ったことでしょう。実際にそうだと思います。しかし、ナンパされる側は、街中で男性に声をかけられて身の危険を感じた経験を重ねています。その人の被害の歴史を無視して、あなたの「無害なナンパ」を単独で評価することができるでしょうか。相手はあなたの目の前にいるその瞬間だけ存在しているのではありません。男性が、男性であるだけで女性に警戒されてしまうのは、一部の加害的な男性が女性にトラウマを植え付けたせいです。誰が無理やり触ってくる人なのか、誰がしつこく追いかけてくる人なのか、声をかけられる側には見分けがつきません。これを踏まえて、全ての人の第一声が恐怖を与えうるということをご理解いただけると思います。

もう一歩踏み込んでみましょう。なぜ男性は軽い気持ちで女性に声をかけるのでしょうか。これは全て私が経験したことですが、道を行く女性に車を寄せてクラクションを鳴らしながら手を振ってアピールしたり、口笛を吹いたり、可愛いねと冷やかしたりといった、ナンパとは少し違う声かけ行為があります。これは「キャットコール」と呼ばれるもので、海外でも問題視されていました。

さて、キャットコールをしているとき、男性は女性を「人格と尊厳のある他者」として扱っているでしょうか。また、キャットコールをするときの男性は複数人であることが多いです。彼らは、男性同士の度胸試しにも似た「ノリ」のために、女性を道具として扱っています。これは明確に、性欲ではなく支配欲によるものです。

ナンパの話に戻ります。

キャットコールの話からもわかるように、女性への声かけ行為の動機は性欲だけではなく、むしろ、性欲が動機になっていることは少ないようにさえ思えるのです。男性の性欲は抑えがたい仕方のないものとして許される風潮に隠れて、女性に対する支配欲を満たそうとしている。そして目線の先にあるのは、女性を手に入れた自分を見せつけたい相手———男性なのではないでしょうか。

ナンパの動機は「そのままホテルに連れ込んで性行為をしたいから」というものもありますが、みなさんもご存知の通りそれだけではありません。

コミュニケーション能力を向上させたいから。彼女ができたことがないというコンプレックスを乗り越えたいから。女性に声をかけるのは純粋に楽しいから、とにかく女性と話したいから。

このとき「女性」はコミュニケーション上達やコンプレックス克服のための「手段」であり、女性と話したいという一方的な娯楽のための「道具」として扱われています。ここに、相手の人格や尊厳を無視する強烈な女性蔑視が見えます。

ナンパする男性のうちそれを娯楽としている人は、娯楽のための道具が急に「私たちは人間だから遊ぶのをやめてくれ」なんて言い出したらさぞびっくりすることでしょう。その点に反感を持つ人は、自分が楽しんでいたものが他者の尊厳を踏みにじるものであること、そしてそれを今まで意識せずにいられた特権性について考えてみてください。

しかし、それだけではありません。男性はどうしてナンパのような行動に至ってしまったのでしょうか。女性に対しての方が声をかけやすいだとか、男性に声をかけるよりも「普通」で「みんながやっているから」かもしれません。ただその動機の根本的な部分に、「女ひとりも口説けない男は情けない」とか「女を獲得できない男は一人前ではない」といった、男性優位社会がまさに男性に押し付けている「男らしさ」への強迫があるのではないでしょうか。

ナンパされる女性の恐怖は見えやすい。私たちを娯楽にしないで、コンテンツにしないでという叫びは、大きな共感を呼びました。

では、男性は?自分たちが社会から押し付けられている男性像に苦しめられ、その結果として女性への加害行為に及んでしまっていることに気づいていますか?男性も、男尊女卑社会の被害者であることを忘れないでください。差別にはコストがかかります。「男は女より稼がなくてはならない、男は女より強くなくてはならない、男は女を守らねばならない」ナンパの話ならば「アプローチは男がやるべきだ」これらの馬鹿げた、しかし今も常識のように扱われている重圧は、差別コストです。

ナンパひとつをとっても、男尊女卑社会に苦しめられているのは女性だけでないことがわかります。「男性が女性を差別している」のではないのです。だから、差別は構造の問題であると冒頭で言いました。

繰り返します。差別は構造の問題であり、そこに生まれてしまった個人は何も悪くない。私たちはどう生まれるか選ぶことができないのだから。しかし、構造を生み出した事実も責任もなくとも、意識的に/無意識的に差別構造の維持に加担してしまう。差別はそうやって続いてきました。ナンパ行為の肯定、もしくは「中立的」に見える立場をとることも、差別構造の維持にあたります。


差別一般の話をしましょう。

差別は特別なことではなく、こんな、ごく日常的な場面に表出しているものです。差別しない人はいません。差別は悪だけれど、悪人が差別するのではありません。また、マジョリティがマイノリティを差別するだけでなく、マイノリティも同属性のマイノリティを差別します。例はいくらでも出てきます。差別意識を内面化しているのはマジョリティだけではないからです。

ここまで読んで、自分は生きていてこんなにも辛いのに「強者」と呼ばれて抑圧者扱いされて、さらに辛い気持ちになってしまった人もいるのではないでしょうか。マジョリティ−—マイノリティには様々な軸があり、今回はたまたま男女の話をしましたが、障害や生まれた地域、学歴や職業など、様々な差別があります。あなたがどこかの面でマジョリティであってもあなたのマイノリティ性はなくならないし、おおよそ被差別属性が少なかったとしても、あなたの個としての苦しみや生きづらさが軽視されることがあってはなりません。ただ、個の苦しみや生きづらさが軽視されてはならないのと同じように、構造としての差別が軽視されたり個の問題として矮小化されたりすることもあってはならないのです。

世の中には、苦労していない人も頑張っていない人もいなくて、「頑張れない」と認識している状態も含めて、誰もが自分に与えられた環境の中で最大限の努力をしています。それでも、自分の履いている下駄を自覚せずにいられるという特権性を誰もが持っています。

あなたも生きていて辛かった、必死に耐えて歩んできたその足元に何があるのか、考え始めるきっかけを、本当はもういくつも知っているはずです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。あなたの勇気に感謝します。

小渕花梨さん。九州大学に通う学生。
彼女が放つTwitter上での言葉に共感、もしくは心に引っかかりを持つ人が増え、
現在大注目の女性である。イラストや刺繍での表現も行っている。

2 thoughts on “みんな違う傷を負ってるだけ【連載コラム:5月】”

  1. >男性も、男尊女卑社会の被害者であることを忘れないでください。差別にはコストがかかります。「男は女より稼がなくてはならない、男は女より強くなくてはならない、男は女を守らねばならない」ナンパの話ならば「アプローチは男がやるべきだ」これらの馬鹿げた、しかし今も常識のように扱われている重圧は、差別コストです

    はい、その通りです。真の男女平等が達成されるには男性側も解放される必要があります。
    しかし、男である私から見れば「女性達は決して男性を解放する気はない」と感じます。

    あなたの言葉から実例を取ります。
    ・男は女より稼がなくてはならない
    未だに日本ではこの風潮が強く、事実低年収の男性は結婚に至らないという統計が出ています。
    女性達はこれを解消しようと訴えかけていますか?

    一番簡単で女性の意識改革ができる方法のひとつに「婚活などの釣書から男性の年収・職業欄を消すこと」があります。そうすれば女性は「稼がない男性」を意識しにくくなり、男性はちょっとだけ「稼がなくてはならない」という重圧から解消されます。
    しかしフェミニストの言説をどれだけ聞いてもそんな話はでませんね。
    ちなみに欧米では男女とも釣書に年収・職業は開示されません(もちろん婚活会社などは安全のために確認しています)

    ・男は女より強くなくてはならない
    最近AEDの話題で「高校生以上は男女でAEDの使用率が異なる」というものがありました。女性達は「自分たちは守られていない」と憤慨していますが、男性からの視点は違います。

    ひとつには「AEDを使うときに服などを脱がせたとき『男性側が罪に問われるかもしれない」と考えてしまうことで、これは明確に「差別コスト」になります。女性は死ぬ確立が高くなり、男性は無用な心理的コストがかかるからです。
     なぜ男性が負う考えてしまうか、ちょうどいい例に「座っていただけで不審者あつかい」という事例があります(ググってください)AEDを使うときに回りにいる人々は必ずしも「それをきちんと理解する」わけではないのです。AEDを使うために服をぬがせたとき、後で逮捕される危険はないでしょうが、しかしSNSで動画や写真を撮られてキャプションに「AEDを使う振りする痴漢」などと書かれ拡散したらどうしようもありません。
    もちろん男性もするかもしれませんが、女性達も「自分たちが差別コストを増大させている」ことに気が付くべきです。

    第二点にAEDが女性に使われにくいという話題を閲覧していると女性達の話題が非常に偏っていることに気が付きます。大体が「女に使われないのは女性差別だ」「男は女を守る気が無いんだ」「男社会だから女を殺してもいいんだ」という感情的なモノばかりです。
     でこの感情の裏にある共通点があります。それは「女性はAEDですくわれる側」と言う感覚です。
    私が見た限りですが、一人として「だったら女性自身もAEDの使い方を覚えて、自分たちで自助努力しよう」という意見は見ることが出来ませんでした。

    これは実は男性側も共通していてAEDの普及活動をしているコラムなどを見ても「女性へAEDを使っても訴訟リスクは低い」とか「服を全部脱がせなくても使える」と言うことばかり書いています。つまりこれも「男性がAEDを使って助ける前提」なのです。

    日本の女性は人口の半分以上います。彼女たちが女性にAEDを使えば問題はゼロなのです。もちろん男性しかいない場合があるので、コラムなどの啓蒙は的外れとはいいませんが、それにしても「女性も積極的にAEDを覚え、人助けをしよう(そうすれば差別コストが下がる)」という見識を見ることはできないのは、男性だけのせいなのでしょうか?

    ・男は女を守らねばならない
    これは日本社会にいくらでも具体的にあります。有名なのは女性専用車両、あれは「男性が乗らない協力で成り立つ」ものですから、まさしく「男が女を守る」行動を社会が求めています。しかしこれに反対し「男は女を守らねばならない、というのは差別コストを増大させるから反対」という女性を私は知りません。

    結局、別のコメにも書きましたが、あなたのモノの見方は「女性は差別されている」という下から目線でしかなく、男女ともに社会に参画しこの社会をよくする責任を負う立場の発言ではない、ということです。

    結局男性達が多くの社会的参画を担うなら、女性はつねに「守ってもらう側」になるのは当然であり、差別コストが増大するとしてもそんなことは男の知ったことではない、のです。

    ぜひ「女性が社会参画するにはどうすべきで、社会にいる女性達に何が足りないのか」という視点をもつことをお勧めします。

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